というか「ネタ」

国1沿いからの移転先なわけですが、普通に行ってみたいなぁと思ってしまった。

コミックスでしか読んでないが、確かに最新刊のスクランは話のヤマがなくて、
焦点が散漫になっていたような気がする。

マイペースでいいんじゃないでしょうか。

マリア様がみてる』一連の作品群における地の文の記述においては、使用されている人称に「私」の記述が積極的に採用されず、三人称を使用しながらも、視点位置はほぼその章における主人公からの視点で描写されるという形式を取っている(注1)。

ただし、注意すべきは、例え祐巳視点の三人称的名称で書かれている章であっても、視点は首尾一貫しておらず、同一場面においても移動が行われており、地の文の記述においても、視点人物に対する距離の相違が存在する。

人称記述が不安定というのは、ライトノベルには割とありがちな事のような気もする。
ただ、それを意識的にやっているか、未熟で整理されずに出たものかで違いは大きいと思うが、
『マリア様』の場合は前者かと。

相変わらず能登麻美子さんと斎藤千和さんが多いですね。
あと、生天目さんや折笠富美子さん、伊藤静さん、甲斐田裕子さんあたりは、
毎期コンスタントにレギュラーがあるわけで、演技力と共に使い易い声の感じなんでしょうな。

サイコミュへの第一歩。

試みは面白いと思うが、当人たちは人生観変わるかもなぁ。

これも一種の釣りなんだろうか。

うーん、すごいマクロだ。それしか言いようがない。

こんな風景があり得るとは。